お小遣い上げて!

お小遣い制サラリーマンのブログ、どうしようもない物が9割、たまに真面目に書いたりします。

自分で決めたと本当に言える?

例えば、自分の職場がブラックだと言われる企業だと知った時、どうするかを意思決定出来るのは自分だけ。

周りは好きに言うだろう、ここにはいるべきではない、ここにいたら引き摺られて駄目になる、次が決まってから辞めるべきで、せめて賞与は貰ってからにしたら……

でも決めるのは結局自分の意思だ。

−−本当に?

好きに言うだろう周りの人々は、それでも街ですれ違う人々よりは多少親しかろう人々だ。
(そもそも街ですれ違う人々は、あなたの人生に関わる事に口出ししないし、興味すらも無かろうさ)

そんな人達の言葉が、意思決定に何ら影響を及ぼさず、結局自分で決めたなどと言う事が、どれだけの人間に出来るのだろう。

例えば、『私もう辞めます、こんな組織に居たくない』と言ったとする。
どんな企業にも大なり小なり至らない点はあり、それが気に食わないから辞めるに至ったという仮定は容易に成り立つ。
その仮定に至った条件が自分には当てはまらないと、本当に言えるだろうか。
いや、小難しい言い方をせずに率直に書こう。

誰かの言った『辞める』という言葉は、それだけ強く周りの心に影響を及ぼす。
『辞めたい』でも多少なり及ぼすだろう。
それに引き摺られてしまった時、本当に自分の意思で決断したと言えるのか?

最終的には自己責任論にしか行き着かない話だと判ってはいて、それでも書いたのは心が折れかかっていて、もしかしたらもう半分くらい破断しつつあるからかもしれない。

でも考えてみて欲しい。

他人の腹の中なんて判りゃしないし、理解しきる日も来ない。
判断に影響を及ぼす言葉に、利害も悪意も絡まないなんて誰が言える?

親しいふりして、あなたの為と言いながら、その裏に何も無いと言えるか?

今回のこれは、さっきも書いた通り『最終的には自己責任』にしか行き着かない話。
でもだからこそ、書いて起きたかった。

自分の意思で何かを決めたと、キチンと言えますか?
流されて、惑わされて、軽断してませんでしたか?

自分の意思で何かを決めたと言えるようになるのは、本当は難しい事なんじゃないかな、という話。

……うん、やっぱ不毛さしかないな。