お小遣い上げて!

お小遣い制サラリーマンのブログ、どうしようもない物が9割、たまに真面目に書いたりします。

評価するサイトと、それを拒否する被評価者

https://www.tetsu-law.com/entry/2019/10/06/210000

この記事の元になったツイートについては、私もニュースで見ましたが、そりゃそうですよねと納得した覚えがあります。
あくまで店が取ったスタンスが、何で生まれてしまったのかという点についてですけどね。

法務の観点から、というのは元記事でもしてるので、私は私で別視点から取り上げます。

そもそも何故食べログお断り、という店のスタンスに同調出来たかという視点になるので、『お客様は神様だろ!』思考の人は見ない方が良いかな。

では本題、現実的な所で行くと、こういう評価サイトのユーザーの中で、『低評価つける』と脅してくるレベルの人っているんですよ。
勿論これは脅迫じゃないか云々ありますが、そういうのは専門家に任せます。

実際組織というものは運用される上で『何が出来て何が出来ないのか』をある程度線引きしないと、例外まみれになって、あっという間にルールが機能しなくなります。

しかして営利目的でない組織などそう滅多にある筈もなく、情報化社会と言われて久しい現代ではネットの評価というのも馬鹿に出来ない影響を出してくる事があります。

故にこの手の悪質な奴に対応するのは難しいし、毅然に対応するというのも相応にリスクがついて回ります。
※経験則的に毅然と突っぱねる他無いのですが、これでクレーム発生すると末端対応者が責められるので『難しい』し『リスクがある』と断じてますが、そうでない組織の方はそうでないと言って下さい。
 そういう会社が日本にあるのだと希望を抱ける転職活動者が出てくるかもしれません。

早い話が『お客様は神様です? 馬鹿言うな』って心境に至ります。

サービスを受けるなら相応に対価を払うべきで、不当な要求に応じてやる義理も無いわけですし、金払いたくねぇけどサービスしろなんて奴は死ねば良いと思ってます。

そんな奴らの相手が嫌になって従業員が辞めたなんてなれば、損害賠償請求しても良いとすら思ってます。
※採用にかかるコストってね、というのは色んな人が書いてるから割愛。

そういった私の目からすると、食べログ切って変な奴を排除してしまいたくなる気持ちには、嫌でも共感します。

こういう店って多分今後も出てくるんじゃなかろうか。
食べログも本来はこんな使い方される事は想定してなかったろうけど、何処にでもいる悪用しようとする奴等の存在を一因として、利用者も減じてしまいそう。

消費者にも品位ってあるべきだなぁ、としみじみ思う記事でした。

時間差で書く日々

最近『ネタに使わせて頂きますわ』って記事見つけても実際記事にする迄に数日ラグが空く。
こういう時の備えになるのがブックマーク機能なんだなって思う。

http://suminotiger.hatenadiary.jp/entry/2019/10/10/093935

今日の記事はこちら。

社会の問題を語ったら話の軸と逸れた人達がいっぱい反応してて、しかも殺意を仄めかされたりしてたけど、この現象に対して考察したよ、という話が入ってます。

この人に限らず、ネットだと何処でも見られる『何か喧嘩腰の人』だとか、『真面目に的はずれな事は言い出してる人』だとか、果てはマウント取りたいだけの人だとか、そんな人々を見ているという情報発信者はそこそこいると思ってます。

そういうものの愚痴ではなく、『何故それが起きているのか』という視点で書いてあったのが、ごく個人的な嗜好ではあるけど、珍しくて面白かった。

記事を書いている人自身は至極真っ当な事を言ってると思うし、こういう人には変わらず良い記事を出してもらいたい。

情報発信って、私みたいに気ままに気楽にしてるのが一番平和だと思う判明、いつ誰にどんな因縁つけられるか判らない所がおっかない。

匿名性がある場だと、人の本性が出るって事なんですかね。

要件定義は技術者だけがするものじゃない

落差激しいかもしれないけど、要件定義というものの話をしたい。

システムエンジニアだとかプログラマーだとか、そういう人達はよく聞くだろうし、要件定義という言葉を聞いて『システム系の話?』みたいになる人もいるだろうけど、違います。

これはどちらかというと『目標設定』の話であり、求める結果に至るプロセスの特定の話であり、プロセス特定の為に何をどう詰めていくのか、という話になる。

前に別記事を書いた時に使わせてもらった『数値化』の具体的手段としてプロセスを仕分けていく話があったけど、感覚的にはアレの延長線上にあるものと言える。

まぁ長々書くと面倒なので、私の考える要件定義とは下記の流れにそって定義付けされてます。
①目標の設定(大概が乱暴に言って問題解消と結び付けられる)
②目標達成に必要なプロセスを仮定
③プロセスを仕分ける(自分の力だけでなし得る部分と他者の力が必要な部分を分けるとか、そういう事をする部分)
④プロセスを構成する要素を網羅する(何が必須なのか、何があった方が良いのかを判定する前段階)

やる事って、大分端折ってるけどこんな感じで仮定されます。

……で、うっすらと(どころか割とあからさまに)予感出来てる人もいそうですが、本来この要件定義というのは戦略側、経営サイドで詰められるべき話になります。
個人事業主出ない限り、戦術単位よりも更に小さい単位、私のような一兵単位には本来は縁のない話になります(社員も経営者視点が必要だ! と無思考に説く人には理解されなさそうですね)。

理由はごくシンプルに、『裁量権』の問題です。

大概の組織にある事ですが、末端の一兵の持つ裁量権など高が知れてます。
事によれば最終決定権者が組織の上流に昇って行ってしまうので、どうしても時間かかるし、間に多くの人(いわゆる上長)が入ると伝言ゲーム形式になって元々の意図が伝わりづらくなる事が問題になります。
あとはどうなるかは想像に硬くないかと……故にトップダウンが良いものとは言いませんが、本来要件定義は最低でも戦術単位(部門管理職)以上、組織によっては戦略単位(複数部門統括管理職)で策定されるのが、スピード感的には望ましくあります。
ボトムアップ式がキチンと体を成している組織はこの限りじゃないですよ、勿論。

では何でこの話をしているかというと、この要件定義は『それでも誰しもに必要な考え』になるからです。
便宜上『要件定義』と言ってますが、これって結局『目標』を決めて、『逆説的に分解して』、『どう進めるか』を決める行為。

はい、普通に働いてたら誰しもがする事なんです。
※自分は十全に出来てます、なんて大きな事は言えませんが。

出来はどうあれ誰しもやる、それを何で書いたかというと、この要件定義が必要な話を(建前上)偉い人とした時に言われたんですよ。
ちなみに割と重大な内容についてであり、下手すると組織の拡大の仕方に大ダメージ入れかねない話たったんですが。

〇〇さん(責任を負わされない非正規雇用の人)と業者依頼する場合の要件定義詰めて、見積とか業者選定やっておいてと。

いやまぁ、何処の会社でも起きてる事さって言われたらそうかもしれないですけど、
こういう事平気で言われるとやっぱり思う訳ですよ。

戦略サイドが組織のあちこちに深刻な影響をもたらす要件定義を、軽々しく裁量の無い末端に放り投げる辺りで、組織の未来が暗いなぁって。

あ、ちなみに今回の件はとあるトラブルシューティングが深刻な展開になったが故にやってるんですけど……現場を理解しない人には多分『大した事無い』ように見えてるんですかね。

愚痴っぽくなりましたが、要件定義って別にシステム絡みの人じゃなくても、すげー大事なんだって言いたかっただけの記事です。

やっぱりスマホで打つとやり辛いな、キーボード欲しくなる。

混ぜるな危険。

https://togetter.com/li/1413648

……なんだ、その、アレですよ。

真面目に書いたら蕁麻疹出たから自分の普段のテンションを取り戻す為に取り上げました。

いやでもこれはズルいだろ、いくら何でも。

苦労は買ってでもしろ?

http://delete-all.hatenablog.com/entry/2018/10/04/190000

ちなみに私はタイトルの文言には否定的です。
家庭大事にしたいんで(しないとお小遣い減りかねないしね?)

仕事の仕方で成功したよ、という一例ですね。
何に重きを置き、何を目指し、どのようにプランニングするのかを、経験値から割り出して実行しておるんだな、という記事でした。

私は別に勤勉でもなければストイックでもない、取り立てて有能という訳でもないですし、高効率で動ける訳でもないです。
でもこの記事の内に『仕事に関係ない無駄話』だとか、『会議という場での無駄』とか、何でそれを剥いだのかは判りやすいと感じました。

こういうのはきちんと絵図が描けているかと、それをどう現実に落とし込むかを、どの程度イメージしているかによって、有用性が変わってくると思いますが、少なくとも今の私にはこれほどに徹底したマネジメントをする力量はなく。

そうであるが為に憧憬を禁じ得ない。
具体的な絵図もなく漠然と動くだけなら誰でもできそうですけど、現実にキチンと落とし込む事が如何に難しいのかなんて言わずもがな。

だからこそこういう人達に憧れるんでしょうね。

常思う、価値を認める事の難しさ

https://www.kyobun.co.jp/news/20191004_04/

詳細は元記事が頑張ってるので、今回は記事とは厳密には別軸の個人的な考えの話をする。

勿論独断と偏見の塊なので、異論は大いに結構、好きに言えば良いと思う。
でもきっと目を背けようとしている所に触れるのは避けられないかなぁ……なので『この元記事はコスト管理の何たるかを判ってない!』とか声を大にして言っちゃう人は、多分今回の記事を読むのには向かないよ?


ゆるふわだけど警告はしたし、そろそろ本題に入ろう。


この記事の問題の根底には、『価値を認める』という行為の難しさがある。
価値を認める事、それは時として自分の黒歴史を受け入れ飲み込む事よりも、更に難しい。

現場で実働する人間にとって、このご時世常に手数を稼ぐ為のリソース、要は人手が不足している状況というのは、かなり身近な話で深刻な話だと思う。

そりゃそうだ、人件費は固定コストの中でもぶっちぎりで高いと言われて憚らない、そんな会社も沢山ある訳だし、経営サイドだって決して無視出来る話ではない。

そうでなくても人が定着しない会社なんて腐るほど有るし、お陰で大体どこも『割に合わない』現場環境有様で、人が定着しづらくなって人手不足での悪循環に陥ってる。

はてさてこんな有様の中で問題になるのが『コスト』を如何に下げると手数を稼ぐかで、かつ如何にそのしわ寄せを処理するか。
特に専門分野持ちはコスト高くなりがちだから、今いる人間に『間に合わせ』として専門分野持ちに任せた方が良い内容を振る事も考えたりするんです。

で、実働サイドにしわ寄せが来るんです……多分野受け持ち、役割がいっぱいあって訳判らないし、ろくに知りもしない専門家用意すべき分野も振られて仕事回らないパターンに突入しちゃう訳ですね。

まさに元記事のようなパターンですね。

いや解決させるだけなら『その道のプロ』に指導をお願いし、実働サイドにも業務圧迫せず研修受けられる人員補充をして、かつ『その道のプロと指導役の摺り合わせ』を可能にするだけの余裕を与えれば、あとは時間が解決するんすよ。

勿論最初から万全とは言わないですけど、少なくとも解決への道筋は立ててる訳で、定着させるまでが勝負なんですよ。

はい、定番のコストがー問題が立ち塞がります。
そんな資本がある組織なんて、今の日本には多くないのは議論するまでも無く。
限られたリソースの中で物事に優先度を付けていく訳なので、当然『相対的に価値が下がる』ものは後回しになります。

こうなるとコストが重んじられるのは、ある種当然の様にも見え、だからとて他も無視できない。
そうしてやむなく優先順位をつけて、相対的価値の問題で『価値を認める』事を難しくしていく。

本来専門職というのは、そこに時間と資金を注ぎ込み、その道のプロたる存在になる。
だから貴重で、だから相応にコストがかかる。
でもそれを認めたらコストに潰されるかもしれないとなれば、おいそれと何でもかんでも価値を認める訳にはいかなくなる。
まぁ自然な結論だと思いますよ、故タイトルがこんなものになった訳で。

……でもこの理屈も、そろそろ見直さないといけないんですよね、というかこの理屈を悪用する輩が増え過ぎた。

実働サイドにも経営者の視点を求める社会の風潮が出て来たのはいつの事だったか、最初は組織を守る為の考え方の一つでしかなかった筈なのに、自分の利益を追い求めて実働サイドを激務というしわ寄せに晒して、何も疑問に思わない人が経営者なんだと、そう語る人々すら平然と存在しているんですよ、現実には。

そういう経営者視点で考えると〜、という理屈をこねて、ろくに実働サイドの現状を把握しようともせず、適当な事を言っちゃう人も、平然と存在してるんですよ、現実には。

そんで専門職の専門職たる所以も考えずにコストだけ見るだけじゃなく、『この分野の話なんて大した事ないだろう』と根拠なく高を括っちゃう人もいたりします……ドン引きなジョークでも何でもなく、現実にいます。

こういう人はそもそも『価値を認める』という発想も無かったりするので、組織構造云々でなく社会構造云々でもなく、シンプルに何も考えてないんだろうなと私は思ってます。
もしくは仕事クオリティが違い過ぎて最早異文明の存在に成り果ててるのかなと思ってます。

……失敬話が逸れました。

いずれにしても、価値を認める、という事が結果を伴う行為として行われるには、それなりどころではない難易度があります。
難易度の上がる要因は様々ありますが、少しでも価値を認められる人間がいる社会になったなら、世の中がもうちっとマシになるんじゃないかなっていう話でした。

流石に疲れてるのにフリック入力で長文書くもんじゃないね、大分端折ってるし人に見せるような構成になってないや。
価値を認める、という事については、また改めて書く事にします。

出先だからってスマホで書いちゃ駄目っすね、やり辛くて仕方ない。

情報の有り様

https://webtan.impress.co.jp/e/2019/09/30/34042

かつて情報とは数百万人の命と引き換えにしても、十分な尚価値を持つ事もある、と言った人がいた。

……いやうろ覚えなんで誰が言ったか思い出せないんですけど。

今回のネタになってるものは、そこ迄とは言わないものの、それなりに価値のある情報じゃないのかなと思う。

こういう情報って企業内で膨大な時間と人手を費やして得た検証結果かもしれないし、そういう仕組みだとリークがあったのかもしれないけど、割と組織内のトップシークレットとして秘されるイメージがある。

こういう情報が大勢の目に触れるようになったという御時世、時代は変わったと見るべきなのか、それとも元からそうだったけど目が向いていなかっただけなのか。

何にしても、この手の情報が何の犠牲もなく出てくる時代、恐ろしさを感じるのは何でなのか、考えないといけないんじゃないかなぁ。